おばんのつぶやき2

ドリコムブログから引っ越して来ました。

2008年01月

主人が出張の為、今朝は弁当作りはなし。
なので、私のお昼ごはん用のおかずもない。
もちろん夕飯の分も。

お昼はともかく、夜は一人で何を食べようか・・・
ビールはかろうじて缶1本残しておいた。笑顔(あとは梅酒を飲もう笑い

作るのは嫌だし、道路がまだところどころ凍っているので、スーパーまで買いに行くのは面倒。
・・・と言って、すぐそこのコンビニに行くのさえ億劫。
だけど・・・背に腹はかえられない。
一大決心で、歩いてすぐそこのコンビニで買い物をして来た。

あれこれ見たけど、それ程ほしいと思う様なものもなく、弁当類は嫌だし、仕方がないので、サンドイッチといなり寿司と、それからチョコバナナクレープと、仕事に持っていくりんごジュース。
おかずというよりは、おやつに近いものばかり。にっこり
当たり前だけど、スーパーよりも高い。泣く

とりあえずお昼はサンドイッチといなり寿司と、朝の残した味噌汁と牛乳で。
いなり寿司1個は夜に残した。
・・・って、炊飯器にご飯はあるのだけど。

さて、夜は・・・
作ろうと思えば、かろうじて少しずつ材料は残っているのだから、何かしら作れない事はないのだけど・・・手間がかかるし・・・後処理も面倒。

・・・なんてねぇ、他に誰かがいればこういう事は考えないのだけど、一人だと何をするのも本当に億劫。

隅々の埃が目に入っても、明日の休みにちゃんとやるから今日はいいわ・・・などと、誰も何を言う人もいないとこうだからねぇ。泣く
これが1日だけだからいいようなものを・・・ずっと一人だったらどういう風になってしまうのだろうか・・・などとダメ女は考えつつも今日は暢気。チュー

楽しい事・嬉しい事がプラス。まる
面白くない事・悲しい事がマイナス。ダメ

・・・とすれば、理論的にはプラスマイナス「ゼロ」となりそうだけど、現実的にはそうはいかない。

いろんな要素が絡み合って織り成す感情は、一つのところに定まらずに、あちこちゆらゆら揺れ動いては時折心が乱れる。

根底にマイナス要素が含んでいれば、それだけでせっかくのプラスの影が潜めてしまう。
それをどう打開するか。
それが問題。落ち込み

昔から障害物競争は苦手だった。

一目散に、目的地に向かってただ走るのなら得意。
なのに、途中に障害物があると、そこで手間取ってしまう。

それは、障害物競走に限らず、現実の世界でも同じ事が言える。
平穏無事な生活なら、自分の目的に向かって1歩1歩楽に前に歩んで行けるのに、途中に障害物があると、その時点で怖気づいてしまう。

されど、大なり小なり、人生に障害物はつきもの。
平穏無事に、何事もなく過ごせるっていう方が稀でもある。

・・・とそうは思うものの・・・いつまでも排除できない障害物がそこにあるだけで、どんどん気持ちが落ち込んでいくのも確か。
なぜかと考えるのも虚しく、すべての煩わしさから逃げ出したい気持ちになってくる。
立ち向かわず、すべてを投げ出して、逃げてしまおうか。
ふとそんな気になる今日この頃。
春はまだまだ遠い。b569f408.gif
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昨日は下の歯だけ。
上は来週。

レントゲンを撮ったら、歯の骨はそれ程細くはなく、今のところ歯周病ではないのだけど、ほおっておけば、そのうち歯周病になるとかで、この機会に全部取ってもらう事にしたのだけど・・・独特なあの音は嫌ですねぇ。泣く
それに、時々痛かったし。悲しい
でも、歯石を取って血が出るのは炎症が起きているからで、異常がなければ血は出ないんだって。

今まで気にしてなかったけど、歯石を取ってからの歯ざわりは、前と全然違って、何だかとってもすっきりしたみたい。まる

歯も綺麗になったし。
これからもっと光るぞ!キラキラ

ある庭園で。

今の時期に珍しいと写真を撮っていたら、後ろで声をかける人がいる。
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何かと振り向けば、「それね、椿なのよ」と言う。
「えっ、そうなんですか?」
「名前が書いてあるでしょ、椿って」

見れば「八千代」だけで「椿」の字は見えない。
「中に少し埋もれてるのよ」

主人が埋もれている部分を見れば確かに「八千代椿」と書いてある。
「へぇ、そうなんだぁ・・・」などと感心している私の側で、いまいち腑に落ちない主人の顔つきを見て、「お兄さん、信じてないでしょ、でもそうなんだから」などと言いながら去っていく中年のご婦人。

何も知らない私は、それをまるっきり信じきってしまったってのに、主人はと言えば、庭園の出口で窓口のおじいさんに何やら聞いている。

「中に八千代椿って花が咲いていましたけど、あれって牡丹ではないのですか?」
すると、そのおじいさん、笑いながらにっこり「そうですよ、あれは八千代椿っていう牡丹ですよ」
それを聞いて再び驚いた私。ショック

教えてくれた中年のご婦人は、きっと親切で教えてくれたのだろう。
それも、あれは椿なのだと自分も信じきっていて。

帰って来てからネットで見てみたら、確かにあれは牡丹なのだそうだけど、その名の由来までは出ていなかった。

それにしてもなぁ・・・わからないという事は、信じやすいと言う事なんだわさ。泣く
裏を返せば、騙され易いって事なのかもなぁ。落ち込み

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